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平成20年2月16日
このところ、日本に関するできごとで良い話はほとんどありません。食品・建築・土木・年金etc・・・あらゆるところで信頼がなくなってきています。今やどこでも調べられたら、必ず何か不正が見つかるようなそんな気さえしてきます。
「そもそも、自分さえ良ければ、他はどうでもよい。などという風潮がまかり通っているからで、これも戦後アメリカに洗脳されたせいだ。あのなつかしい江戸時代に帰ろう!」・・・そう言いきってしまうのは簡単ですが、本当にそうなのでしょうか?
終戦後の混乱の中、食べるだけが精一杯、着るものもあるだけで十分、持ち家なんかとてもとても。そのような環境では、とりあえず形だけ整ってさえいれば中身は二の次で当たり前でした。毒々しいニッケ飴にスカスカのチョコレート、人口着色された魚肉ソーセージ、プラスチックのお椀、ベニヤ製の婚礼家具などみんなそうでした。本物そっくりのものを手に入れて満足していた時代でした。
ダイエーの故中内社長は、水道の蛇口から水が溢れるように大量の商品を安く主婦に提供するんだと水道哲学を実践しました。多くの企業もその流れに乗り業績を伸ばしてきました。いま、私たちは1年中新鮮なものが何でも安く手に入る日本の国に住んでいます。人間の願望をビジネスチャンスに活かしてきた先輩たちのおかげです。本当にありがたいことです。
しかしながら企業が生存競争に勝つためには、絶えず成長し続けることが必要です。生業や家業としての「売れる→売り切れる→早終い」をやめ、企業として「売れる→増産する→売れ残る」リスクを選択し、そしてより経済的合理性の高い「売れる→増産する→売れ残る→作り直す」ことを数十年間にわたって続けてきました。そんな勝者であるはずの事業家たちが、偽物だ、期限切れだ、産地偽装だと騒がれて当惑し、「みんな喜んで買ってくれていたのに、そんなこと急に言われても・・・」と、ただ頭を下げるだけ。
「良いものを安く」という際限のない欲望を持つ消費者にも責任があります。昔は白身の魚など滅多に食べられなかったのに、390円の日替わり定食に白身魚フライが入っているのは何故?その白身の魚はどこの海を泳いでいたのでしょうか?
ものにはそのもの本来の価値があります。貨幣の価値やコストとしての価値ではなく、ありがた価値あるいは有限価値とでも言うのでしょうか。安すぎることは、ものに対して失礼だと思うのです。
もうそろそろコンビニエンスではなく、「なければ我慢する」生活を考えてみても良いのではないでしょうか? 欲しいものがあれば、あるところに出かけていく。旬のものであれば、出るまで待つ。そうすれば、事業家の皆さんも「今日は売り切れました」と言えるでしょうし、消費者もものを大切にするようになるでしょう。でもそうなると、旬のものが出るのを待ちわび、遠くの名物にあこがれた江戸のような世界になるのかな?
やっぱり、あのなつかしい江戸時代に帰ろう!・・・ってどこかで聞いたようなセリフ?
みなさんも、日本だけでなく世界のひとびとの暮らしが良くなるように、大風呂敷を少しだけたたんでみませんか?
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