コラム三条の独り言

コラム三条の独り言

令和元年

vol.48「改元に伴う旧元号・新元号の表記について」

 政府は改元日(5月1日)前までに作成した文書について改元日以降「平成」の表示が残っていても有効とするなど、元号の表示について弾力的な運用をすることを決定しました。
 国民が各府省に申請等を行う場合に改元日以降の年の表示が「平成」となっていても有効なものとして受け付けることとしています。
 国税庁も「新元号に関するお知らせ」を公表し、納税者が提出する書類が「平成」標記になっていても有効なものとして取り扱うこととしています。
 また、源泉所得税の納付書の「年度欄」や「支払年月日」等の年は「平成31年4月1日~令和2年3月31日」は「31」と記載しますが、「01」でも有効なものとして取り扱うこととしています。なお、新元号の印字された納付書は10月以降所轄税務署から配布される予定となっています。
 改元の発表から改元日までわずかな時間で情報システムや書類を一気に変更することは困難です。現場の状況に合わせた弾力的な運用だと言えるでしょう。

平成30年

| vol.47「国会議事堂に行ってきました」

ある参議院議員に税制改正に関する建議書を届ける役目をいただくことになり、せっかく持っていくのならと、上京することにしました。
東京へ行く機会はよくあるのですが、国会議事堂は初めてです。
出迎えてくれた議員秘書から入館許可証をもらい、いかめしい衛視に会釈をして中に入ります。まずは、議員会館の議員事務所に通され、今日の予定を確認します。
そしていよいよ議事堂です。エレベーターで地下に降り、議事堂に向かいます。国会議事堂が議員会館と地下でつながっていることを初めて知りました。
玄関横の議員の登院表示盤の前を通り、中に入ります。おなじみの左右対称の議事堂ですが、正面から右に参議院、左に衆議院となっています。天皇陛下が臨席される御席があるところが衆議院と違うのだそうです。
そこからは衛視が案内をしてくれました。古い建物ですが、建築資材に一流のものが使用されているため、本物ならではの重厚感が伝わってきます。テレビ中継でよく見る委員会室や本会議場などいろいろな部屋に入れていただきました。議員が詰めている部屋を訪ね、税制改正などいろいろな話題で歓談しました。
お昼になったので、議員食堂で昼食をいただくことに。国会議員に最も人気なのが「カツカレー」だそうです。選挙に「勝つ」のがその理由だそうです。議員ならではの切実感が伝わってきました。もちろん「勝つかれー」をいただきました。
国の形を決める重要な場所を訪れ、我々庶民もしっかりとこの国の行く末を考えていかなければと、改めて感じたことでした。

| vol.46「平成30年7月豪雨災害に想う」

 昨年日田・朝倉地方を襲った大水害の記憶も新しいうち、7月上旬に梅雨末期の豪雨が西日本全域を襲い、各地で大きな被害をもたらしました。
 各地方自治体は早いうちから災害対策本部を立ち上げて対応したのに対し、安倍首相が赤坂自民亭で会食していたのは政府が西日本地域の災害に関心が低いためだと批判があり、外遊を取りやめ現地にて赴くなどの対策に当たることになりました。新聞やテレビなどの大手マスコミも同じような傾向にあると言われています。
 自分の身の回りに起こっていることだけに関心を持つのは子供にとっては当たり前のことですが、大人になりそれも社会的影響力が強い立場になればなるほど、身の回りの出来事である如く対処する大局観を持つことが必要になるのです。
 安倍首相が国の最高指導者として危機的状況をイメージし、行動することに想いが至らなかったのは、そうした情報を伝えてアドバイスする参謀がいなかったこともあるかもしれません。
 それにしてもこのところ「これまで経験したことのない災害」が多すぎますね。
避難勧告が発令されたら、すぐに非難するしかなさそうです。

vol.45「平昌五輪に思うこと」

平昌で冬季五輪が始まりましたが、北朝鮮を参加させるため経済制裁を緩め続ける韓国の甘い対応が目につきます。
五輪の精神である平和の祭典を政治利用してはいけないはずなのに、ベルリン五輪を極限まで政治利用したナチスドイツと同じ匂いを参加・不参加の動きで世界のマスコミの関心を独り占めした感のある北朝鮮に感じます。
国家的ドーピングのため国としての参加を認められなかったロシア、TVの生中継の都合で夜中の開会式を強要したアメリカ、巨額の負担金の重さに耐えかね立候補を取りやめる各都市などを見るにつけ、それを目標に頑張っている選手の皆さんには申し訳ないのですが、もう五輪は要らないのでは?と思ってしまいます。

平成29年

vol.44「新装なった東京駅前広場」

先日上京する機会がありましたので、駅前広場が整備された東京駅に行って来ました。
丸の内の駅前広場は東京駅の正面玄関から皇居の和田倉門に向かって真っすぐに(皇居から東京駅に向かってというべきでしょうね)白い石畳が伸びていました。
大勢の人が皇居に向かって歩いていましたので、何かあるのかな?と私もついて行きました。
歩道・車道のあちこちにコーンポストが置かれ、たくさんの警察官が交通整理をしています。
警察官がハンドマイクで「二重橋の方に左折してください。」と言うのに目の前の人は右に歩いています。そこでやっと今日は「皇居東御苑乾通りの一般公開日」だったことに気づきました。
どおりでたくさんの人が歩いているわけです。
数日後、東京駅から皇居まである国の大使が白い石畳の上を馬車に乗って「信任状」を届けに行く様子がテレビに出ていましたので、「あそこをこの前歩いたばかりだよ!」と叫んだのですが、家人からは冷ややかな顔で見られるだけでした。

vol.43「中小企業の大廃業時代」

先日、中小企業の大廃業時代が迫っているとの新聞報道がありました。黒字企業でありながら廃業するその主な理由が、後継者不足です。20年前に中小企業経営者の大半が40歳台だったのが、今では60歳台になったのも事業承継が進んでいないことを示しています。
 事業が継続することによるメリットは、以下のようにまとめられます。
 (1)お客さまの立場
  ・・・その企業の商品・製品・サービスが自社の製品等の品質を高めている。
 (2)銀行や仕入先の立場
  ・・・信頼できる企業と取引することで自社の業績向上に繋がる。
 (3)従業員の立場
  ・・・勤務先が安定することにより自らの生活設計がしやすくなる。
 (4)経営者の立場
  ・・・自分のパッション・ミッションが自分の裁量で発揮できる場がある。
 (5)国や地方公共団体の立場
  ・・・提供する公共財のコスト以上の税収が見込める。

永い間、我が国経済は中小企業によって支えられていると言われてきました。その中小企業が後継者難で消え去ろうとしています。
今、あらゆる手立てを尽くして自社の事業継続を図っていく時が来ています。

vol.42「サッカーワールドカップに想うこと」

サッカー日本代表がオーストラリアに快勝し、6大会連続のワールドカップ出場を決めました。
見ている方としては、もう出場するのが当たり前のように感じますが、そんな雰囲気の中で世界の強豪を相手に勝っていく選手は、どれほどの技術力と精神力を持っているのでしょうか?
4年に1度の大会に6回連続出場するには、24年の間世界で通用する選手が揃っていることが必要です。
絶えず新旧交代が繰り広げられ、世界的レベルを保っている現実を見ると改めてサッカー界のすそ野の広さを感じます。
バレーボールやマラソン、女子サッカーなど一時は世界一と言われた種目もあとが続かず低迷しているのは新旧交代がうまくいかなかったことを如実に示しています。
我が社あるいは我が業界が繁栄し続けるためには絶え間ない新旧交代が必要ですが、そのためにはまず我が社あるいは我が業界の魅力をより高め続ける努力を惜しんではなりません。

vol.41「ふるさと納税」

先日所要のため、大分道を走る機会がありました。高速道路から見る朝倉や日田地方の景色にはそれほど変わった様子はうかがえませんが、山肌には所々真新しい青いビニールシートが架かっていました。また、河川の中にブルドーザーが入って作業をしているところもありました。一般道を走った知人の話では、道路がいたるところで寸断され、とてもひどい状況だったそうです。
台風5号が迷走したため、集中豪雨が長時間続き、日本全国で大きな被害が出ました。「明日は我が身」という言葉が、これほど身近に感じられるときはありません。
「ふるさと納税」が数年前から注目されています。本来は自分にゆかりのある地方自治体に寄付をすることでその地方の浮揚の一助となることを目的として創設された制度なのですが、返礼品の人気によって多額の寄付を集める自治体とそうでないところと二極分化する結果となっています。
この際、返礼品などもらわない「災害復旧のためのふるさと納税」に寄付をして1日でも早い復旧を応援したいと思うのですが、いかがでしょうか?


平成25年

vol.40「辺野古の海を見た!!」

前田俊雄が1982年(昭和57年)に独立・開業して早や30年が経過しました。それを祝して「30周年記念旅行」を企画しました。ところは沖縄・カヌチャリゾート。その名の通り滞在型のリゾート施設です。カヌチャリゾートは沖縄本島中部の名護市にあります。太平洋に面しており、目の前には普天間飛行場の移設候補となっている辺野古の海が広がっています。カヌチャは、神着と書くそうです。すごい名前ですね。

あるお客さまから毎年行っているがあんな良いところは他にないと、絶賛されたので、それじゃあと、出かけてみることにしました。合宿以外で旅行に行くのは10年ぶりなので、スタッフも楽しみにしています。

vol.40「辺野古の海を見た!!」

那覇空港からレンタカーで那覇市内へ、まずは腹ごしらえ。「ジャッキーステーキ」で沖縄名物ビーフステーキをいただきます。副所長がJCでみつけた有名なステーキハウスだそうです。ボリュウム満点のステーキをペロリと平らげました。
那覇から国道58号線を北へと車を走らせます。沿道には米軍基地が延々と連なっています。2時間近くかけてようやく到着。広大な敷地にレストランやコンドミニアムなどの建物が点在し、どこへ行くにも歩きでは大変そうです。園内を循環する無料バスもありますが、それほど頻繁に走っているわけでもないので、カートが交通手段となります。

vol.40「辺野古の海を見た!!」

チェックインを済ませ、いよいよ部屋へ。今回は高台のコンドミニアムだったので、はるかかなたまで海が広がり、解放感あふれる景色を堪能しました。ベランダにジェットバスがありました。水着着用でご利用くださいと説明書きにありますが、違反して入った人がいたそうです。(私ではありません・・・!?)
初日の夕食は、プールサイドでバーベキューです。肉はもちろん海老・烏賊などの海鮮ものや、野菜などたくさんの食材が運ばれてきました。10月中旬ですが、風が吹くと少し肌寒く感じられ、ビールがそれほど進みません。

vol.40「辺野古の海を見た!!」

2日目はゴルフ組と観光組に分かれて行動します。私たちは3人でゴルフをしました。今回宿泊した部屋の真下にコースがあり、プレイ中のゴルファーを見ることができますが、あまり見たくも見られたくもありません。2番までパーが続いたのですが、終わってみればいつも通りのスコアでした。プレイ後は中華料理をビールでおいしく戴きました。
観光組は美ら海水族館に行き、マンタが悠然と泳ぐ姿を満喫したそうです。お昼は岸本食堂で、ソーキそばを頂いたそうです。
10月いっぱいは泳げるとのことなので、合流後みんなで海に行きました。泳げる人は海に入り、泳げない人は濡れない程度に足を浸しましたが、だんだん大胆になっていくのは人間の性なのでしょうか?ビキニ姿の3人美女に見とれていたおじさんが1人いたことを私は知っています。
夕食は和食レストランへ。料理長自慢のコース料理を堪能しました。泡盛の古酒(くーすー)を出してもらいましたが、柔らかなのど越しがついついピッチを速めます。

vol.40「辺野古の海を見た!!」

3日目はひめゆりの塔と平和祈念公園を訪ねます。ひめゆりの塔ではたくさんの修学旅行生に出会いましたが、深い理解を得るにはまだ若すぎるのでしょうね。小さなお花をお供えし、ご冥福を祈りました。平和の礎では、その数の多さに圧倒され、犠牲になった皆様のおかげで今この平和な世の中があることを実感しました。
沖縄といっても、那覇周辺しか行く機会がないのですが、初めて中部に来てみて国際通りの喧騒も良いけど、静かなリゾートでゆったりとした時間を過ごすのも良いものだなあと思いました。
スタッフからも楽しかったという感想が聞けて、また機会があれば訪れたいと思ったものでした。


|vol.39「若松・工場地帯のビオトープ」

毎年5月の連休の1日を「定点観測」と称して、北九州市とその周辺で面白そうなところに出かけるようにしています。
これまでに行ったところといえば、「山田緑地」「旧長崎街道巡り」「埋め立て中の北九州空港予定地」「門司港レトロの観光トロッコ列車」「到津遊園」等々・・・
今年の目的地は、若松は響灘の巨大な埋立地に自然発生した緑地帯をそのまま保全していくこととなった、その名も「響灘ビオトープ」。
もともとこの地域は、港湾設備や工業用地として昭和40年代から埋め立てが進められてきましたが、北九州市の特色である「静脈産業」に関連した企業が増加したこともあって「北九州エコタウン事業」へと発展してきました。
ところが、広大な埋立地が30年間放置されているうちにいろいろな植生が進んだのです。そして、湿地帯にはトンボが飛び、空には大小の鳥たちが舞い、あろうことか池にはメダカまで繁殖するようになりました。

vol.39「若松・工場地帯のビオトープ」

そこで、平成17年に「緑の回廊づくり」構想が策定され、その中核施設として平成24年10月に「響灘ビオトープ」がオープンしました。
縦横600~700メートル(約41ヘクタール)の台形をした広大な園内に入る門のところに大きな足拭きがあります。外来生物を持ち込まないためのものだそうです。100円の入場料は「年長者施設利用証」を提示して無料になりましたが、何だか微妙。歩いて行けるところは入口から3分の1くらいですが、それにしても長い。子供の頃口にくわえて鳴らした小さな豆を見つけて昔通りに細工をしてみましたが、ちっとも鳴りませんでした。

vol.39「若松・工場地帯のビオトープ」

野鳥観察施設は木の塀に窓が開けてあり、そこからそっと池を見るようになっています。二羽の鴨らしき鳥がゆっくりと泳いでいました。藪の中では絶滅危惧種といわれるベッコウトンボが飛んでいましたが、素人にはその価値がわからない。
小高い丘の上には見晴らし台が整備されています。鉄骨造りのミサゴポールやコアジサシの営巣地などが見えますが、その先には大きな風車がゆっくりと回り、工場の大きな煙突も目に入ってきます。
こんな人工物だらけのところにいろいろな生物が生きているのをまじかに見ると、そのたくましさに感心するとともに、自然環境がいかに大事かを痛感させられました。
何がどうとか特にあるのではありませんが、日ごろの生活習慣を振り返るときに来てみるのも良いのではと思ったことでした。


| vol.38「冬のハウステンボスは魅力的だった!!」

開業以来20年近く一度も黒字になったことがないハウステンボスでしたが、H.I.Sの澤田社長がテコ入れして、たった1年で黒字にして見せました。その秘密の一つとして、1,000万個ものLED電球によるイルミネーションが紹介されていました。いままでのハウステンボスの夜のイベントといえば花火くらいで、わざわざ宿泊することもない日帰り中心のテーマパークでしたが、このイルミネーションで宿泊する必要性をぐっと高めたといわれます。
好奇心の強い私としては一度くらい見てみなければと、出かけていった次第です。前日の天気予報で雪マークが出ていたので、JRに乗っていくことにしましたが、これが大誤算。乗継時間の都合で駅弁を買い損ね、特急の中で買おうとしたら、車内販売はしてないとのこと。飲まず食わずでやっとたどり着きました。

vol.38「冬のハウステンボスは魅力的だった!!」

早速園内バスでホテルにチェックイン。土曜日ということもあってか、夕方近いのに結構な人出です。運河の周りの飲食スペースは、夏と違い閑散としています。寒い中でアイスを食べるのはちょっと厳しいかも?ドムトールンへ登ってみました。夜は30分以上並ばないと登れない、とガイドの説明。

vol.38「冬のハウステンボスは魅力的だった!!」

5時ころからだんだんと暗くなり始め、イルミネーションが明るくなってきました。青・黄・赤いろいろな光が輝いています。宮廷庭園でイベントがあると聞き、行ってみることにしました。みぞれが降っていますが、家族連れやカップルなどで混雑しています。やがて音楽とレーザーに合わせていろいろな光がついたり消えたり。幻想的な雰囲気になってきました。隣の若い二人は肩を寄せ合いじっと光を見つめています。それをうらやましそうに見ているおじさんの耳を古女房がひっぱりました。痛いったらありゃしない。
とある建物の周りで人だかりがしているので、何ごとかとすっ飛んで行ってみたら建物の壁面をスクリーンに仕立てたワンピースの映像ショーでした。本物とぴったり合わせた窓から怪人が現れたり、人が落ちたり、最後は真っ赤な炎に包まれて建物が崩れ落ちるなど、迫力満点です。これも夜だからできる企画ですね。
歩き疲れたので、何か飲み物でもとカフェテラスへ。窓の外は人の流れが続いています。戦火を逃れて避難するのでもなく、食料を探し求めて歩き続けるのでもない、きれいなイルミネーションを楽しんでいる平和な光景を見ていると、胸の中から熱いものがあふれてきました。
澤田社長はこれからもいろいろな企画を実行しつつ、元々のコンセプトである滞在型リゾート施設として成り立たせる方向を目指していくのだそうです。
これまで何回も行ったハウステンボスでしたが、施設そのものはあまり変わっていないのに、来客数が激増した理由がよくわかりました。新しい企画を実行するのは勇気と共に資金も人材も必要ですが、顧客に訴えることができたらこのように劇的な結果が生まれるのです。
デフレだ、不景気だという前に、自分の仕事をもう一度棚卸しをしなければと思いつつJRに乗り込みました。もちろんビールとおつまみはキヨスクで手に入れました。

平成24年

平成23年

平成22年

平成21年

平成20年

平成19年

平成18年

平成17年

平成16年